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佐渡 (海防艦) : ミニ英和和英辞書
佐渡 (海防艦)[さど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さ]
 【名詞】 1. help 
海防 : [かいぼう]
 【名詞】 1. coastal defense 2. coastal defence
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

佐渡 (海防艦) : ウィキペディア日本語版
佐渡 (海防艦)[さど]

佐渡(さど)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の3番艦とされているが、海軍省が定めた艦艇類別等級では占守型海防艦の7番艦。
==艦歴==
マル急計画の海防艦甲型、仮称艦名第312号艦として計画。1942年2月21日〔〔、日本鋼管株式会社鶴見造船所で起工。8月20日佐渡と命名され、本籍を佐世保鎮守府と仮定し、占守型海防艦の7番艦に定められる。11月28日〔〔、進水。
1943年3月27日、竣工。本籍を佐世保鎮守府に定められ、南西方面艦隊第一海上護衛隊に編入。竣工当日に横須賀へ回航され、4月18日まで在泊。4月1日、同隊軍隊区分北支隊に編入。21日、門司へ回航。24日、J船団(7隻)を護衛し門司発。29日、高雄着。
5月3日、258船団〔戦時日誌中の「作戦経過概要」による。〕(6隻)を護衛し高雄発。7日、門司着。12日、P船団(3隻)を護衛し門司発。15日、高雄着。18日、第一海上護衛隊司令官の将旗を高雄庁舎から本艦に移揚し、263船団〔戦時日誌中の「作戦経過概要」による。〕(9隻)を護衛して高雄発。22日、門司着。27日、第一海上護衛隊司令官の将旗は高雄庁舎に復帰。31日、161船団(7隻)を護衛し門司発。
6月4日、高雄着。8日、270船団(8隻)を護衛して高雄発し、門司の手前で分離し佐世保へ回航。12日から27日まで、佐世保海軍工廠で修理に従事。28日、W船団(3隻)を護衛し門司発。以後、門司-台湾-マニラ-シンガポールを結ぶ線での護衛に従事。11月15日、第一海上護衛隊は海上護衛総司令部隷下となる。
1944年5月3日、ヒ61船団を護衛し門司発。17日、シンガポール着。23日、ヒ62船団を護衛しシンガポール発。6月8日、門司に到着後佐世保へ回航し、7月8日まで主機械の整備。13日、門司発のヒ69船団に同行しマニラまで対潜掃蕩に従事。マニラからは通常の護衛を行い、31日シンガポール着。
8月4日、ヒ70船団を護衛しシンガポール発。12日から単艦分離し対潜掃蕩を行いつつ基隆へ向かう。16日、高雄で軍隊区分掃蕩隊第三掃蕩小隊を松輪日振擇捉と編成し同小隊は佐渡海防艦長の指揮下で行動。17日からヒ71船団に同行したが、同船団がアメリカ潜水艦の攻撃により損害を出したため、小隊(当時は擇捉欠)は遭難現場に留まり潜水艦の掃討にあたった。しかし成果は無く、21日には現場を引き払いマニラへ向かう。22日0400ごろ、小隊の各艦はのバターン半島の西方50キロ地点でアメリカ潜水艦ハーダーハッドに発見された。海防艦はルソン島寄りから松輪、日振が平行し、佐渡はその後ろを航行し三角形の陣形を成していた〔#海防艦戦記p.108〕。攻撃は0500時から0830時までの間に行われた。まず、ハーダーが日振と松輪を目標に、ハッドが佐渡を目標に攻撃し、3隻は損害を受ける。佐渡はハッドからの魚雷1本が中央部に命中して航行不能となった〔〔#Blair p.718〕。その後、ハッドの三度目の攻撃でさらに被雷し、沈没した〔ほか、他の2艦も撃沈された。海防艦長の谷口信義中佐以下乗員73名が戦死した。残存艦が擇捉のみとなった第三掃蕩小隊は24日に編成を解かれた。
10月10日、佐渡は占守型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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